*実は十人十色の日本、一方で無個性なラテンアメリカ*
感情が読めない。画一的でまるでロボットのような社会。
全員が同じに見える。個性がなく表現力の乏しい日本。
このようにステレオタイプな日本に対する見方は、
未だに世界の国々には存在します。
そして何より日本人である我々がこれら誤解を受け入れ、
偏見をも助長しているのです。
日本以外の国で仕事・生活を行って約10年。
多種多様な人種交わる国・地域を周りました。
その経験において、
“決して日本は無個性ではない”事に気付きました。
2000年以上の歴史と豊かな気候・地形・風土・自然に
育まれた文化が画一的なものであるはずがありません。
国内と外から見る日本への印象は相当異なります。
日本文化への憧憬、渇望、そして時にはそれら有する
日出る国への嫉妬も入り混じった海外の“想い”をこれまでの
海外生活で日々感じてきました。
伝統工芸、武道、職人の技、祭り、地域毎の豊かな食風土、
きめ細かいそれぞれの分野におけるサービス。
これら全てを持っている国を探すのは相当に骨が折れますし、
この一つすら持っていない国もラテンアメリカには数多くあります。
所謂多種多様な文化背景を持つ日本人は、
本来非常に感情が豊かで、それを表現する方法は何も
Apple/Facebook/Twitter/ Amazon等のCEOが行う
大仰なプレゼンのみではありません。
「ああまたか。。」と思うような上から目線だけの画一的な助言。
心に一切響かず、オリジナリティの無いサービスやビジネス。
話す内容は一辺倒で、死活問題に直結する政治や治安に関しては
各人意見はあるようですが、芯の通った確信や哲学、信念はおろか、
思考の広がりを残念ながら感じる事ができないのも中南米であり、
当地で長い期間働く中で感じた率直な残念な気持ちでした。
そのようなグローバル化 = 退屈な世界の画一化とも言える状況にあって、
ガラパゴス化 = 独自の文化を有する、日本の技術、
サービス、武道、伝統、漫画、アニメ、果ては独特のマナーにまで、
多くの国が群がり魅了される事こそ、
日本が十人十色の考えと細やかな表現で社会が溢れている証拠なのです。