リアル精神と時の扉 ; 密着中南米生活時事モール

肩書に頼らない本物の漢を目指しいつのまにか中南米生活十数年。現地時事ネタをベースに日本人の視点をお届けします。

*知能と黒人から考える所謂TABOOとは何か*

今回は少し重いテーマを取り上げますが、

決して差別的な内容ではありません。

それは人種間の相違に関してです

 

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しっかりとした知能や感情
そして複雑な社会性を伴う哺乳類においては特に、

同じ種であってもその身体的特徴や傾向、知性にも違いがあるように、

人類にもその疑問を至極ナチュラでありながら、

いつしか知性への質問・検証すら“タブー視”されているのは何故でしょうか。

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例えば「日本人は黒人、西洋人と比較して身体的能力が劣っている」や、

「日本人はフィジカルが弱いので。。。」という表現。

国際的なスポーツイベントやサッカーの親善試合などでも、

特にアフリカとの対戦前後には必ず溢れる表現で我々も違和感なく受け入れています。

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これに対して差別的だ!発言を撤回しろ!という抗議は聞いた事がありません。

それは例え同じ人種であっても対格差や身体的特徴の差異に、

得意分野も異なり優劣は出るものだと我々は至極当然に理解しているからです。

運動の出来ない人は逆に他の分野に才能を開花させたり、

勉学にも差が当然発生します。

これは人類の共通認識であるならば、

知性や思考においても人種間で差異があると捉える事は問題なのか?

 

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 偏差値とは異なり知能テストにも様々ありますが、

一般的にこの手の試験では東アジア人が上位を独占します。

数学的思考分野の成果や試験では常に日本人はTOPですし、

米国の大学ではあまりにもアジア人のみが生徒比率を占めてしまうので、

例え入試の成績が良くても入学に制限があると聞いた事があります。

黒人やヒスパニックをバランスよく入学させるとの配慮が背景にあるからです。

そしてこれらの事実を、このように公式の場で発言すると、

何故途端に“差別主義者”としてレッテルが張られるのでしょうか

そして身体的な優劣を論じてアジア人・日本人を蔑むような表現は、

我々への差別には当たらないようです。矛盾しませんか?

このBlogのテーマで何を伝えたいか。

何も他の人種との知能優劣を強調したいわけではありません。

差別を無くす為の極端な表現規制”TABOO”というものは結果差別を助長したり、

本来の主旨から外れ本末転倒であるように思うからです。

今回は知能をテーマとしましたが、

これに限らず所謂TABOO視される命題こそしっかりと本来向き合うべきで、

そのことが、人類思考の進化につながるように感じます。