リアル精神と時の扉 ; 密着中南米生活時事モール

肩書に頼らない本物の漢を目指しいつのまにか中南米生活十数年。現地時事ネタをベースに日本人の視点をお届けします。

死者の日 (dia de muertos) を通したメキシコの死生観

“死者を弔い風習や文化として祈り捧げる”という事は、

世界各地域で見られます。

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一方で“厳密”に特定の日を設け、

その日に終日セレモニー(儀式、祭儀)を行う国は、

限られているのではないでしょうか。メキシコはそのうちの一つです。

約27か国で話されているスペイン語

母語 = 思考の原点ですから、文化・社会・国民性の基盤とも言え、

スペイン語圏が集中するラテンアメリカの人口規模と大陸は広大でありながらも、

それぞれは“とても酷似した”一つの文化圏で構成されています。

 

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長きに渡り主要なアステカを含む文明時代を共有した隣国グアテマラでは、

メキシコと似たような文化も散見されます。

しかし死者の日(祭事)の規模では際立つメキシコ。

プレヒスパニック(スペイン人入植前)文化の色彩を多く残したこの大国は、

数千年続く独自の慣習もいまだ数多く内包しているのです。

その中でもメキシコとって死者の日とは。

一年の中で大変重要な位置付けとなっています。

 

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 具体的にメキシコ人はどのように死者の日を過ごすのか。

子供の御霊が現世に戻る初日の11月1日、

大人の御霊を偲ぶ翌日の最終日11月2日と、

計2日間に渡って死者の日は区切られています。

これには子供 / 大人の区別なく、生前に故人の好んだ食べ物や飲み物に、

思い出の品を各家庭で供え、飾り立てる事からその日は始まります。

そして御霊とそれらのお供えを共有しながら祖先と語り合い、

中には終日泣き明かすメキシコ人も多い。

讃美歌のような歌を当日の祭事に添えて過ごす家族もいると聞きます。

 

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その過ごし方は地域によっても異なり、大都市よりは中小地方都市や村の方が、

昔の祭事を踏襲・より大切にしているようです。

 

カトリックの多いラテンアメリカにあっても敬虔な信者の多いメキシコ。

イースターイエス・キリスト“個人”の復活祭)とも厳密に異なり、

その経典に記載のない“死者の日”という独特な死生観。

数千年の長きに渡り捧げられてきた儀式と、別の大陸からもたらされた宗教との融合。

それが特別な日として、メキシコ独自の鮮やかな色彩を放つ慣習になっているのです。

 

死者の日の意義と過ごし方は日本のお盆と酷似してはいないでしょうか。

近年、日本同様メキシコでも、特に若者間でハロウィーンが浸透しています。

その10月31日と“日続き”である事から、死者の日とハロウィーンが別の融合を遂げ、

年配層は眉をひそめるようなコミカルなドクロをモチーフにしたfiesta (パーティー)が、

オリジナルとは異なる価値観を死者の日に生み出しています。

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こうした例外はありながらも、故人を偲ぶ点においては(ここが非常に大切な点)、

日本のお盆との類似性は否定できません。

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 感情が豊かなメキシコ人。まさに彼らに当てはまる表現は喜怒哀楽でしょうか。

最愛の人が亡くなる際にあっても、慎み深く自身を抑えようとする日本人。

小さい時から我々は公共において、これら感情を抑制するように訓練されています。

対照的にメキシコ。死者の日にはその感情の豊かさを爆発させます。

親族で抱き合い大いに泣き崩れその日を迎える。

これら“死や死者”に対して、公私所関わりなく示す彼らの感情からは一見、

塗炭の愛別離苦死生観をも感じとれます。

死とは決してこの世にあってはならない極端な恐ろしいものであるかのように。

 

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一方では年間の平均殺人件数は約3万件を超えるメキシコ。

日本との比較では実に100倍の開きで、1日約80名が命を落としている。

治安の悪さは屈指。他国では載せらない殺人が日々の紙面を埋めています。

こうした数字は、普段死を恐れその瞬間を忌み嫌い遠ざけようとする

メキシコ人からは想像し難い事実です。

 

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 メキシコ人はよくわからない。ラテン各国からよく聞くフレーズです。

二面性のみならず人によっては三面性も存在するのがメキシコ人だと言います。

天上の最愛の人を愛でる死者の日の過ごし方と、実際はそうでないにしても、

まるで死を軽んじるかのように日々命が奪い奪われている現実との不一致。

アステカ時代は神聖な戦士同士の試合(現代のサッカーのようなスポーツ)の勝者が、

太陽のピラミッドの頂上で心臓を捧げたと言います。

これは名誉ある死であったようです。

 

矛盾する文化や国民性がこの国の本質であるなら、

それもまたメキシコと言う国家の魅力なのかもしれません。

日本もまた特殊な文明を有しながら、はっきりしない考えの民族代表だと、

外国人から言われることも多くないでしょうか。

日墨両国は共に長い歴史を有している。

その中で酵母され実は十人十色の国民性。

世界の中では両国とも複雑な民族とも言えます。

そしてまた、他文明の中でも特に珍しい“死者の日”の成立過程と捉え方。

単に一か国の習慣の物語ではなく、プレヒスパニックの自然崇拝との関係性に、

昨今急速に深まる日墨両国の共通項と遠因も、

“死者の日”という慣習から見出せるのです。