リアル精神と時の扉 ; 密着中南米生活時事モール

肩書に頼らない本物の漢を目指しいつのまにか中南米生活十数年。現地時事ネタをベースに日本人の視点をお届けします。

*日本人は本当に無神論者なのか?*

(日本の“宗教”は何かと外国人に聞かれた場合)

多くの日本人は何故かはにかみながら、

無宗教”だと返答しているように感じる。

この返答の仕方は無宗教である事への照れや、

本当にそうなのだろうか?という自信の無さにも映る。

果たしてこれは、明確な答えを求める外国人と日本人双方にとっても、

知識欲を満たさない欲求不満な回答になっていないでしょうか?

 

日本の祝日に祭日、正装して迎える元旦・初詣に天皇の存在と敬意。

いただきます(頂くという感謝)やご馳走様の意味。

実は日本人の日常に神道が当たり前のように存在している事実。

しかし、それを宗教として明確に定義して良いのかというテーマもあり、

それでも葬式・仏事の他、諸行無常、因果応報、一病息災、一蓮托生など仏教由来で

日本語の日常会話にすっかり馴染んでいる4字熟語や慣習。

仏教や他宗教すらも空気のように私たちの意識に溶け込んでいる現実の世界。

これこそが悠久の日本の歴史で育んできた和の精神と多様性

= 神道ではないかと感じる。

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((先の大戦に極端なアレルギー反応を示す方は))、

神道 = 国枠主義 / 右だとレッテルを張りたがるが、

宗教とは人それぞれ心の拠り所であってそれ自体に罪はなく、

それを信仰する側の問題が沸点を超えると

対立・紛争そして戦争へとエスカレートしている。

 

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日常の神事である事。決して義務や上からの命令ではなく、

ある場所に何ら違和感なく、

数百年連綿と溶け込んでいる習慣こそが宗教と言うならば、

神道 = 日本の国教(歴史)ではないでしょうか。

 

カトリックが大部分を占める中南米諸国では異教である日本人。

次回ブログのテーマは日本人として俯瞰する、

中南米カトリックに対して思う事を書きたいと思います。