リアル精神と時の扉 ; 密着中南米生活時事モール

肩書に頼らない本物の漢を目指しいつのまにか中南米生活十数年。現地時事ネタをベースに日本人の視点をお届けします。

*続 日本人は本当に無神論者なのか、~カトリックの国々での違和感の正体とは?~*

「Papa, papa!!!」と、ローマ法王に熱狂する中南米

カトリックが大半のラテンアメリカでは、

法王のミサに世界的スターのコンサートより会場が埋まる。

 

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国家・人々によって固有の考えを持ち、

それら密集する生活圏に即して生まれた習慣に文化、

それが昇華したものが宗教であり、

例えその方法が新大陸発見時の悲惨な侵攻によるものであっても、

実際に目の前の多くの貧しい人々が、

涙を目にためながらカトリックへ傾斜する姿勢には学ぶことも多い。

 

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彼らにとっては異教徒である日本人

当地でも“宗教”や“政治”は繊細なテーマでありながら、

頻繁に日本の宗教は何かと問われます。

その際、日本人の神道(一般的に日本個々人が持っている概念)は多神教であり、

つまり、神という単語は複数形のDIOSES (*DIOS = 神)との回答になるのですが、

神は一つ = DIOSなのだから、複数のDIOSESにはならないのだ」と一方的に否定される事がありました。

ここにカトリック信仰国(唯一神)と、

日本人とで大きく異なる思想が存在する事に気付きます。

日本は大陸やヒンドゥー、それがイスラム

カトリックの神であっても八百万の中の複数神。

幾百万にたった1~2神が加わる事を聖徳太子の説いた日本人の“和”は否定しません。

 

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宗教一つとっても、中庸に美を見出す日本と、

YES or NOの文化圏との摩擦があるように感じます。

中庸が = 和の思想に近いとすれば、

判断や決定が上記文化圏と比較して遅いという欠点もあります。

今回の武漢肺炎をめぐる日本政府の初手の遅さ・対応を見てもわかります。

 

一方で皆の意見を大切にし、他者を受け入れ尊重するため、

TEAM WORKが優れているとも言えます。

 

頭が固いというのは人に使う表現ですが、

このラテンアメリカでの経験を経て、

やや頭が固く意外と融通のきかん坊がラテンアメリカで、

ステレオタイプのようで実は十人十色の日本。

外から俯瞰する度に、

個性で色鮮やかに彩られている日本の多種多様な文化は新鮮に映ります。

 

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その為海外で所謂、日本オタクが急増する意味と理由が、

均一性へ向かうGLOBALIZATION(宗教の広がりとも関連?)との駆け引きの中で、

際立っていると思うのです。

 

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先に述べましたがあの世界大戦とその後のGHQによる占領戦略の結果、

宗教がまるで悪意を持った生き物のように日本では未だに疎まれ、

教育の面からも遠ざけられてきました。

しかし日本以外の国では真っ先に学ぶ概念こそ宗教であり、

それは私たちが生存する文化、習慣の根本が、

宗教の中にあるからと考えられているからです。

カトリック圏での生活を通して、

改めて日本の思想、哲学、宗教、神道の持つ意味を日々学んでいます。