オタクは各国共通で何故顔(表情)が似ているのか。 頭の働き、知能が高いから?
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世界でも通用するOtakuという言葉の意味は何か。
Blog主自身、アニメはあまり観ませんが漫画は良く読みます。
漫画の各構成や見せ方はプレゼンテーションの資料作成に役立ちますと、
良い歳なので漫画に読みふける際にこのような言い訳を言い放つことがあります。
しかし人気のある漫画にはやはり綿密に考えられた伏線・構図があり、
意識・無意識に限らず読者の思想色彩に影響を与えているのではないでしょうか。
一方で自身がオタクかと言うと、
いまだそれら世界観には及んでいないと断言できます。
そのオタク。現在は日本以外でも珍しくありません。
特に日本文化やアニメ・漫画の浸透度が非常に高いメキシコでは、
友人の(彼はオタクではない)通う、
日本語のクラスにたくさんいるようです(彼も別の世界観を彼らに感じるようで)。
そして冒頭の何故著者は、
この人はオタクだと感じるのか(定義するのか)?という質問に戻ります。
まずその表情。例えば日本人とメキシコ人。
人種が異なるので物理・身体的特徴が異なるのは当たり前ですが、
“そこはかとなく” 醸し出す彼らの雰囲気とその類似性。
所謂日本人、イタリア人、メキシコ人、というように、
“オタク”という国の別人種であるかのような近親性と共通項を、
オタク間にある程度見出せるのは私だけでしょうか。オタクに国境なく。
所謂各国の日本フェスに登場する方たちの中で、
白人や黒人といった身体的特徴の相違関係なく、
オタクというのが“”何故“”か見た目や雰囲気で分かってしまう不思議。
このような体験はないでしょうか?「ああ、こいつはオタクだな」という感覚。
彼らの話し方を聞けば、なお判りやすいようです。。
世界ではマイノリティーに分類される、
日本の哲学・思想、そして神道を構成する八百万の神という考え。
所謂1色ではなく、800万もの多種多様な“カラーを”、
受け入れる日本の美徳とも言い換えられ、
我々の寛容性と感受性が豊である事の象徴だと常々感じます。
YES or NOと限定的な宗教観をもつ国々に生まれながらも、
日本のこれら鋭い感受性を理解し愛する人々が海外のオタクであり、
勉強が出来る否かではなく、地頭が良く先進性(ニュータイプ)を合わせ持つ人々。
それが表情に表れているのがオタクであり、
感受性の豊かさの行きつく先がotakuではないかと。
本来の性格が繊細であるが故に、
所謂その国では(特に日本以外では)浮いてしまう海外のオタク。
そうした新たな個性をも包括して“和を以て貴しと”問題なく受け入れる日本。
オタクの中でも鉄道オタク、ガンプラオタク、
アニメオタクにXXXオタクと数えだしたらキリがなく。
これまで30数か国以上旅しました。
そして実際に10数年海外に生活しています。
しかし一度もこのような包括した感覚と、
ユニーク性を併せ持つ国には出会った事がありません。
サブカルチャーや独特のお笑い文化に、
漫画・アニメに関わらず(時には変態と海外では称され有名なAV文化も)、
“道”を追求する多岐にわたる武道、芸事、歌舞伎までとにかく文化の裾野が広い。
鎖国時代に負の面はあるのせよ、そのために花開いた浮世絵を代表とする国風文化。
人・物の移動を活発にさせたグローバリゼーションは、
同時に武漢肺炎のようなパンデミックと考え方の均一性の広がりをも助長しました。
5G,6G/ビッグデーター/AI/バイオテクノロジーと日々刻刻、
常に新しい物が生まれる現代になっても、
“何故か心が満たされず、どうしても手に入らない渇きと飢え”を、
人々は求め続け疲弊している昨今、
世界を救うのはオタクとそれを輩出した日本!とまでは
言いませんが、敢えてガラパゴスでもいいではないかと、
日本のオタク文化に期待すらしてしまいます。