*真の異文化交流(日本の常識、中南米での非日常)*
帰国子女への漠然とした憧れ。海外生活への憧憬。
このような思い、少なからず日本人なら過去、
もしくは現在持っている方も多いと思います。
?何故?
これは日本人が本来もつ好寄心に加え、
人とは異なる事(この場合、”村社会“から出る人に対して)への愛憎が、
混在しているからではないでしょうか。
しかしBLOG主も海外生活を行って10数年以上経ちますが、
駐在や海外で一定期間生活する事が“単に”偉い事なのか?と常に疑問に思います。
しかし手取り足取り痒くない所にまで手の届いてくる、
人に大変優しい日本という国で生まれ育ち、その事が実は日本人から、
“ヒト”本来の機能や考え・生き抜く力を弱めてはいないでしょうか。
いやがおうにも国際化の進む(コロナでブレーキも)昨今、
各国との競争力と言う点で、
生粋の日本生まれの我々には課題も多いように感じます。
生活環境の各国との比較において、
日本の社会システムは本当に、
国民一人一人のエチケットに支えられた素晴らしい国です。
しかしそれは今回のテーマで置いておきます。
例えば、
過剰な街中に溢れる(これは守りましょう、列を守りましょうなど)アナウンス。
トイレではクラシック音楽が流れるものまでそして便座は温かい。
日中に頻繁な停電も無ければ電車は定刻通り。
1分の遅延で乗客が騒ぐ社会秩序。
道路は田舎であってもしっかり整備。
何より水と治安が無料である。寄生虫の心配もほぼない。
何を購入しても安心で、至る所に消費者側に立った工夫がある。
一方のベネズエラでは頻繁な停電。
断水は長い時で2日。そのためタンクに水を貯めてやり過ごすが、
トイレもすぐに満杯。そして何より料理をするにも水がないと始まらない。
治安が悪いので子供達だけで公園で遊ばすことなど考えられず、
一人で街を歩く時は常に盗難・強盗のリスクが片隅に。
残念ながら外国人は良いカモ(もちろん良い人も多い)。
値段交渉では必ず倍となる。
日本では外国人にはむしろディスカウントなど、
“おもてなし”の文化ですが、当地ではそうならない事が多い。
日常品も買ったその場から機能しない。
壊れている、返品もきかない。
何でも揃うコンビニなどないので、
電池一本探すにも専門の店まで遠征しかない、という事が多い。
日本では当たり前で慣れ親しんでいる事が、
実は多くの国では”そうではない”のです。
公共交通機関に時刻表など当たり前の如く存在せず。
落し物は99.9%拾った人の宝くじ(gracias a dios = 神のご加護)になる。
精神を患って日本へ急遽戻らされた日系駐在員も多くいます。
つまり、海外から戻ってくる事自体に価値があるのではなく、
その挑戦の中で何かを見出す事にこそ意義があるでのはないでしょうか。
行き過ぎたサービス / “OMOTENASHI”精神に、与えられることに慣れてしまった結果、
外に放り出された際の“体力”と“問題対処能力”を摩耗させ、
適応力・生活力と言う点においては、
日本人は弱体化しているのではと危惧する日々です。