*各国で異なるスペイン語①*
「何故スペイン語なのか」?と20数年前、
各方面から学習の意義を問われる程、日本ではマイナーであったスペイン語。
教える教授陣も’特に変わった人”が多かったように思います。
それが今では英語を抜き世界で1番話され(人口に依存する中国語は除く)、
その必要性からも人気言語の地位を確立しつつある西語。
日本でも学習者が増加しています。
RARE jobを先駆者に、
現在では飽和状態の英会話オンラインレッスン。
BLOG主含む中年以降の方には懐かしいNOVAなどの街角英会話教室。
当時は一世を風びしていました。今もあるのかな?
一方のスペイン語オンラインはこれから成長株という所でしょうか。
そのスペイン語。
所謂、宗主国スペインでの発音・文法と、
細分化してみれば中南米各国でも独自に発展し国毎に表現が異なります。
日本語でも東北のイントネーション、ズーズー弁、
遠く離れた中国地方でもズーズー弁に近い発音もあるそうですし、
関西のそれ、北海道の一部や沖縄にも母語とは特異な言語も認められますね
言語は主にそれが誕生する地域の性質や自然に依拠すると言われますが、
日本語の多種多様な擬音語・擬態語(それ自体は意味を持たない)も、
国土の70%が山河に覆われる国ならでは。
改めて日本語は美しい発展を遂げた言語だと思います。
例)翻訳日本語⇒スペイン語
ホンワリ ⇒ ???
フワフワ ⇒ ???
ゆたゆた ⇒ ???
ほっこり ⇒ ???
スペイン語ネイティブと話している際にも、
上記のように翻訳不可な擬音語を伝えきれずもどかしい思いをした事があります。
Latin由来の西語も表現が豊富で発音も日本語に近しい。
それに魅力を感じ学習を開始した事は決して間違いではありませんでした。
スペイン語独特の小気味の良いテンポと抑揚。各国での発展の仕方も勉強になります。
例えばメキシコのスペイン語は、
歌のようだと形容されますが男女関係なく優しい響き。
一方でメキシコ独自のブロークンも隣国USAの影響だと気づきます。
ニュートラルで聞きやすいコロンビアのスペイン語、それに続くエクアドルとペルー。
イタリア語のようなイントネーションでスペイン語を話すアルゼンチンにチリ。
一方でこれがスペイン語なのか?と当初聞き取りに自信を無くしたのが、
英語でもそのように感じるのですが、
発音、イントネーションの強弱は”地域差”というよりは、
”人種間”の相違が大きな要因ではないかと考えるようになりました。
友人の黒人が話すスペイン語は喉全体が震えているようで野太くこもるスペイン語。
黒人に素晴らしい歌手が多いのも分かるような気がします。
一方の白人系の友人が話すアクセントはやはり異なる。
特に聞き取りには経験とテクニックが必要に思います。
このようにスペイン語と大まかに囲っても、
黒人、白人、アラブ系など人種間でまじりあうスペイン語圏。
地域によって特殊な変化を遂げた過程を分析・観察するのも、
言語学習の魅力ではないでしょうか。
オタクは各国共通で何故顔(表情)が似ているのか。 頭の働き、知能が高いから?
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世界でも通用するOtakuという言葉の意味は何か。
Blog主自身、アニメはあまり観ませんが漫画は良く読みます。
漫画の各構成や見せ方はプレゼンテーションの資料作成に役立ちますと、
良い歳なので漫画に読みふける際にこのような言い訳を言い放つことがあります。
しかし人気のある漫画にはやはり綿密に考えられた伏線・構図があり、
意識・無意識に限らず読者の思想色彩に影響を与えているのではないでしょうか。
一方で自身がオタクかと言うと、
いまだそれら世界観には及んでいないと断言できます。
そのオタク。現在は日本以外でも珍しくありません。
特に日本文化やアニメ・漫画の浸透度が非常に高いメキシコでは、
友人の(彼はオタクではない)通う、
日本語のクラスにたくさんいるようです(彼も別の世界観を彼らに感じるようで)。
そして冒頭の何故著者は、
この人はオタクだと感じるのか(定義するのか)?という質問に戻ります。
まずその表情。例えば日本人とメキシコ人。
人種が異なるので物理・身体的特徴が異なるのは当たり前ですが、
“そこはかとなく” 醸し出す彼らの雰囲気とその類似性。
所謂日本人、イタリア人、メキシコ人、というように、
“オタク”という国の別人種であるかのような近親性と共通項を、
オタク間にある程度見出せるのは私だけでしょうか。オタクに国境なく。
所謂各国の日本フェスに登場する方たちの中で、
白人や黒人といった身体的特徴の相違関係なく、
オタクというのが“”何故“”か見た目や雰囲気で分かってしまう不思議。
このような体験はないでしょうか?「ああ、こいつはオタクだな」という感覚。
彼らの話し方を聞けば、なお判りやすいようです。。
世界ではマイノリティーに分類される、
日本の哲学・思想、そして神道を構成する八百万の神という考え。
所謂1色ではなく、800万もの多種多様な“カラーを”、
受け入れる日本の美徳とも言い換えられ、
我々の寛容性と感受性が豊である事の象徴だと常々感じます。
YES or NOと限定的な宗教観をもつ国々に生まれながらも、
日本のこれら鋭い感受性を理解し愛する人々が海外のオタクであり、
勉強が出来る否かではなく、地頭が良く先進性(ニュータイプ)を合わせ持つ人々。
それが表情に表れているのがオタクであり、
感受性の豊かさの行きつく先がotakuではないかと。
本来の性格が繊細であるが故に、
所謂その国では(特に日本以外では)浮いてしまう海外のオタク。
そうした新たな個性をも包括して“和を以て貴しと”問題なく受け入れる日本。
オタクの中でも鉄道オタク、ガンプラオタク、
アニメオタクにXXXオタクと数えだしたらキリがなく。
これまで30数か国以上旅しました。
そして実際に10数年海外に生活しています。
しかし一度もこのような包括した感覚と、
ユニーク性を併せ持つ国には出会った事がありません。
サブカルチャーや独特のお笑い文化に、
漫画・アニメに関わらず(時には変態と海外では称され有名なAV文化も)、
“道”を追求する多岐にわたる武道、芸事、歌舞伎までとにかく文化の裾野が広い。
鎖国時代に負の面はあるのせよ、そのために花開いた浮世絵を代表とする国風文化。
人・物の移動を活発にさせたグローバリゼーションは、
同時に武漢肺炎のようなパンデミックと考え方の均一性の広がりをも助長しました。
5G,6G/ビッグデーター/AI/バイオテクノロジーと日々刻刻、
常に新しい物が生まれる現代になっても、
“何故か心が満たされず、どうしても手に入らない渇きと飢え”を、
人々は求め続け疲弊している昨今、
世界を救うのはオタクとそれを輩出した日本!とまでは
言いませんが、敢えてガラパゴスでもいいではないかと、
日本のオタク文化に期待すらしてしまいます。
☆国が無くなるという事 (ベネズエラやその他中南米での生活経験を通して)☆
*朝起きたら治安と水が当たり前のように担保されていない。
*治安の関係上外を出歩く時はなるべく腕時計を外し、現金をあまり持ち歩かない。
*強盗に合う際の保険として財布を二つ持ち歩く。
*年に数度は国家非常事態宣言が発令される。
*なるべく夜20時以降は出歩かない。繁華街なんてもってのほか。
*高校生含む子供の通学は“必ず”親が車で送り迎えをする。
*警察が信用できず、時に犯罪グループと共犯者で誘拐などにも加担する。
*刑務所は機能せず、殺人を犯した者でも世間一般のホテル暮らしと変わらない。
*未成年~大学卒であっても、大半の女性が生活苦から性産業に従事している。
*1日に約100名前後が殺人事件で命を落とし
(例;メキシコの年間殺人事件2019年は約3万件以上)、
5秒に一度は女性が性的被害にあう(例;コロンビアでの統計)。
*日中であっても一人では絶対に入ってはいけない地区が近隣に複数ある。
*週に1度は居住区の外から銃声が聞こえる。
*人通りの多い通りであっても、マリファナを吸引して歩く人が少なくなく、
それら特殊な臭いが鼻につく事が多い。
*地下鉄へ乗車する際には治安面で覚悟が必要。居眠りなんてとんでもない。
*流しのタクシーは治安面で誘拐等注意が必要故、極力使用しない。
*物を落としたら小物であっても物の数十秒で消失する。
警察署へ届けるなどまず聞いた事が無い。
*人を疑うところから人間関係がスタートする。
*家(部屋)に入るまでに2重、3重のセキュリティーを通過しなければならない。
*比較的自分に近い知人・友人が強盗被害や、中には殺人に巻き込まれている。
*知人・友人などへお金を貸す(懇願される)頻度が格段に増える。
*通りを十数分歩くだけで複数の物乞いと出会う。
と、書きだしたらキリがありませんが、
決してこれらは大袈裟な出来事ではありません。
上記の内、いくつの項目が日本では当てはまるでしょうか。
生まれた時から当たり前のように存在しているものが実は大変恵まれている事で、
日本以外の環境においては渇望され手に入らない物だったりします。
例え数日の海外旅行であっても、
日本を離れてこそ、その良さを実感する日本人は多いと思いますが、
そのような生存環境を守ってきた偉大な祖先に敬意を払い、
我々も同様の環境を次世代へしっかりと残していきたいものです。
*続 日本人は本当に無神論者なのか、~カトリックの国々での違和感の正体とは?~*
「Papa, papa!!!」と、ローマ法王に熱狂する中南米。
法王のミサに世界的スターのコンサートより会場が埋まる。
国家・人々によって固有の考えを持ち、
それら密集する生活圏に即して生まれた習慣に文化、
それが昇華したものが宗教であり、
例えその方法が新大陸発見時の悲惨な侵攻によるものであっても、
実際に目の前の多くの貧しい人々が、
涙を目にためながらカトリックへ傾斜する姿勢には学ぶことも多い。
彼らにとっては異教徒である日本人。
当地でも“宗教”や“政治”は繊細なテーマでありながら、
頻繁に日本の宗教は何かと問われます。
その際、日本人の神道(一般的に日本個々人が持っている概念)は多神教であり、
つまり、神という単語は複数形のDIOSES (*DIOS = 神)との回答になるのですが、
「神は一つ = DIOSなのだから、複数のDIOSESにはならないのだ」と一方的に否定される事がありました。
日本人とで大きく異なる思想が存在する事に気付きます。
カトリックの神であっても八百万の中の複数神。
幾百万にたった1~2神が加わる事を聖徳太子の説いた日本人の“和”は否定しません。
宗教一つとっても、中庸に美を見出す日本と、
YES or NOの文化圏との摩擦があるように感じます。
中庸が = 和の思想に近いとすれば、
判断や決定が上記文化圏と比較して遅いという欠点もあります。
今回の武漢肺炎をめぐる日本政府の初手の遅さ・対応を見てもわかります。
一方で皆の意見を大切にし、他者を受け入れ尊重するため、
TEAM WORKが優れているとも言えます。
頭が固いというのは人に使う表現ですが、
このラテンアメリカでの経験を経て、
やや頭が固く意外と融通のきかん坊がラテンアメリカで、
ステレオタイプのようで実は十人十色の日本。
外から俯瞰する度に、
個性で色鮮やかに彩られている日本の多種多様な文化は新鮮に映ります。
その為海外で所謂、日本オタクが急増する意味と理由が、
均一性へ向かうGLOBALIZATION(宗教の広がりとも関連?)との駆け引きの中で、
際立っていると思うのです。
先に述べましたがあの世界大戦とその後のGHQによる占領戦略の結果、
宗教がまるで悪意を持った生き物のように日本では未だに疎まれ、
教育の面からも遠ざけられてきました。
しかし日本以外の国では真っ先に学ぶ概念こそ宗教であり、
それは私たちが生存する文化、習慣の根本が、
宗教の中にあるからと考えられているからです。
カトリック圏での生活を通して、
改めて日本の思想、哲学、宗教、神道の持つ意味を日々学んでいます。
*日本人は本当に無神論者なのか?*
(日本の“宗教”は何かと外国人に聞かれた場合)
多くの日本人は何故かはにかみながら、
“無宗教”だと返答しているように感じる。
この返答の仕方は無宗教である事への照れや、
本当にそうなのだろうか?という自信の無さにも映る。
果たしてこれは、明確な答えを求める外国人と日本人双方にとっても、
知識欲を満たさない欲求不満な回答になっていないでしょうか?
日本の祝日に祭日、正装して迎える元旦・初詣に天皇の存在と敬意。
いただきます(頂くという感謝)やご馳走様の意味。
実は日本人の日常に神道が当たり前のように存在している事実。
しかし、それを宗教として明確に定義して良いのかというテーマもあり、
それでも葬式・仏事の他、諸行無常、因果応報、一病息災、一蓮托生など仏教由来で
日本語の日常会話にすっかり馴染んでいる4字熟語や慣習。
仏教や他宗教すらも空気のように私たちの意識に溶け込んでいる現実の世界。
これこそが悠久の日本の歴史で育んできた和の精神と多様性
= 神道ではないかと感じる。
((先の大戦に極端なアレルギー反応を示す方は))、
神道 = 国枠主義 / 右だとレッテルを張りたがるが、
宗教とは人それぞれ心の拠り所であってそれ自体に罪はなく、
それを信仰する側の問題が沸点を超えると
対立・紛争そして戦争へとエスカレートしている。
日常の神事である事。決して義務や上からの命令ではなく、
ある場所に何ら違和感なく、
数百年連綿と溶け込んでいる習慣こそが宗教と言うならば、
神道 = 日本の国教(歴史)ではないでしょうか。
次回ブログのテーマは日本人として俯瞰する、
*何故日本人男性は人気がないのか(ラテン編)*
¿Es el hombre japonés realmente popular en LATAM?
“日本人男性がもてる国上位ランキング”、“日本人男性を好きな国”とか、
男性である以上、どうしてもこのような目に優しいKEY WORDに
飛びつきやすく、検索でもとにかくこの手の情報が溢れています。
例えば単にBlogなどで訪問者を魅了する記事を作成する目的ならば、
“もてる”と言い切りたいとこですが、現実は異なるようです((+_+)_)
そもそも“もてる”とは何でしょうか???
誰もが福山〇〇でないのだから気にするな!という記事を見たことがあります。
つまり、全員が芸能人(イケメン)ではないのだから、人の目を気にするな、
という内容だったと思いますが、本テーマに置き換えても、
余程の男前でない限りは気にされる程“もてる”という事はないのでは?と思います。
そもそも、ラテンアメリカ女性(latina)の男性に求める基準や、
美意識も日本やアジアのそれとは大分異なります。
ジャニーズ系なる男性が日本やアジアで”もてる”スタンダートであるならば、
まず中南米では、そのような男子に対して下記のようなリアクションが返ってきます。
*フェメニン(女性的)過ぎる。
*細い、ひ弱。小さい。
*子供みたい。。
*肌が女性よりきれい。
*男性的な魅力を感じない。
それでも近年は”かの国”の音楽やドラマが各国で放映されている影響で、
現地人と比較し顔が薄く女性的なアジア人の顔が無条件で好き!という女性もいます。
特に文化イベントや日本語教室などではそのような女性との出会いはあるでしょう。
日本の女性でも無条件で白人 = アメリカ人、
黒人 =アメリカ人が好きな方もいますよね。
以前外人が好き!!という日本人女性がいたので、
「何人の事?中国、韓国、中東、フィリピン、アフリカ?」と、
ちょっと意地悪な質問をした所、
「アメリカ人」というバイアスのすっかりかかったお決まりの返答。
話を戻すと日本やアジアに興味があるのは、
日本人男性にも興味があるという事となり、
これがいわゆる本当に“もてる”という事なのでしょうか??
中南米では以下のような男性は平均的に人気があります。
*ひげ面で濃い体毛(これら全くダメという女性もいますが)
*筋肉質(細マッチョではなく、ゴリマッチョがもてます)
*自己主張が強く良くしゃべる男性 = 女性をリードする。
*中身はあまりないのに何故か”自信満々に振る舞う”(ここが大事)。
*ややつんとくるぐらいの体臭。
*短髪
*ケツ顎があればなお良い?(メキシコでは)
*歯並びが良く笑顔がまぶしい。
*ノリが良くてサルサ(踊り)がうまい。
*歯の浮くようなお世辞がうまい。
*他の女性に手を出し、それを彼女に問い詰められても開き直る男性。
なお、私は身長180cm以上で体も日々鍛えており体重は77kgあります。
ボクサーの階級で言えばスーパーミドル~ライトヘビー級の範囲。
日本ではやや大柄?な部類に入るかもしれませんが、
中南米では体が小さい方です。私の会社同僚は皆平均90kg越え。
本来の骨格がアジア人とは異なるので仕方ありませんが。
その為、日本へ一時帰国する度に、
女性も男性も含め全体的な身体の薄さが気になるようになりました。
一方、日本でも“もてる”人は海外でもある程度は女性に不自由しないかもしれません。
しかし、日本の基準は所謂特殊な日本文化の中で通用するものであって、
海外の女性から所望されるスペックとはかけ離れているように思います。
ラテンでは”見た目”と言うよりは自己主張がない =
自信・頼りがいない男性= 性的魅力無しと容易に判断されるので、
果たして日本人男性は中南米でもてるか?という質問へは、
Noという残念な回答になってしまいます。
その一方でLatina(ラテン女性)と仲睦まじく、
関係を続ける日本人男性もたくさんいます。
そのような方に共通するのは以下2点。
*自己主張は少ないが、全てを許せるような異文化への理解力と包容力を持っている。
*上記に挙げた現地で人気の出る要素を持っている。
つまり日本国ではそれなりに浮いて、変り者であった日本人の方が多い。
“人柄”が良く自己表現がしっかり行え、本当にもてる人は、
どこにおいても友情(友人)、愛情(異性)関わらず人気はあると思いますし、
日本(母国)ですら人気の無かった人が海外で突然もてるという事は、
“お金”の要素を除いてあまりないように思います。
**お金(稼ぐ能力)を持っているから悪いという事ではなく**
外国人から「日本に行けばもてるか?」と質問された事はこれまでありません。
私にとっては大変奇妙な問いだと思います。
本来自信を持ち、もてる人は”どこそこでもてるのか”?と聞かないはずですし、
それを逆に当てはめると冒頭の「日本人はもてますか」と言うのは
酷く滑稽な質問になるのであまりお勧め致しません。
**ジゴロを目指すメキシコ人男性と結婚した日本人女性の末路 **
メキシコには約1,400社以上の日系企業が進出、
両国はは450年以上の友好関係あり、
日本人、メキシコ人のカップル・夫婦を見かける事は珍しくありません。
しかし日本人男性とメキシコ人女性は長い期間仲睦まじく夫婦生活を送る一方、
その逆の関係性はあまりうまく行かない傾向があります。
例えば、、
メキシコ男性はパートナーが出来ると早々に怠惰、働かなくなる
日本ではジゴロと言うと、古臭く死語のように捉われるかもしれませんが、
所謂このジゴロ家業を誇りとし、“紐”の男性が多いメキシコ。
当初はあまりにも”胡散臭い”話で笑い話だと思っていましたが、
ジゴロをテーマにしたメキシコ人俳優の演じる映画が流行るなど、
実際に私の知人(自称弁護士)もジゴロで、
臆面もなく複数の熟女と関係を持ち養ってもらっています。
これら当初の想像・幻想と異なるメキシコ男性像に結婚してから気付き、
後悔する日本人女性が多いのは悲しい事です。
日本の男性は一見頼りなくも、勤勉・真面目(と言われている)。
それはメキシコ女性にとっては新鮮・貴重であり、
家庭的なメキシコ人女性とは比較的うまくいくのではないでしょうか。
ラテンの男性は友人として明るく、楽しませてもらえますが、
恋愛関係になると途端に豹変。
ラテン女性に同国男性の印象を聞くと、
二度と付き合いたくないと言う意見は少なくありません。
その点におていは、日本人男性の評判は悪くないという事になります。
外国人男性の方が”魅力的”だと海外で出会う日本人女性は良く言います。
ただこれら多くは””本質””を見ておらず、
ラテンの男性は総じて本来がジゴロ体質、責任感が希薄。少なくとも家庭的ではない。
彼らの文化故、これは事実ですから決して悪口ではありません。
その濃い体毛や見た目は、時に日本人女性には魅力的に映るかもしれませんが、
その分浮気が激しく、だいたいの男性は複数人の女性と一度に関係を持っています。
何故中南米諸国にはシングルマザーがほとんどなのでしょうか??
少し大きなテーマとなりますが、
これは男性・女性にも言え、国際結婚における何よりの秘訣は言葉の壁。
言語は文化や慣習、生活習慣に直結するKEYですから、
お互い感情の高ぶる恋愛初めの1ヶ月や2か月ならまだしも、
結婚するとなると決して無視できない要素です。
少し飛躍しますが、国語がしっかり身についていないにも関わらず、
英語学習でドラスティックな向上は望めません。
それと同様恋愛でも、生まれた日本で日本人ともうまくいかなかった人が、
さらにハードルの高い国際結婚を乗り越えらえるのでしょうか。
“沈黙は金” “言わなくてもわかる” “以心伝心”といった日本人ならではの考えは、
外国では自我を伴わない人間だとレッテルを張られ、あまり尊敬されません。
ここでは皆自己主張は行い感情をその場でためないからです。
これら課題を放置して、外国人との本気かつ長期間継続する恋愛関係は望めませんし、
見た目や表面的な優しさのみに惑わされないような自己訓練が必要・大切だと、
日本人女性、メキシコ人男性との関係性からも学べるわけです。